En Ja

JOURNAL

Tools of enduring value

03
いつまでも価値のある道具
Illustration by Adrian Hogan

数年前から私は東京の東側を定期的にサイクリングしながら、自転車用のシティガイドを作ろうと様々な地域の名店や名所を見つけていった。自転車のスピードは町のリズムと同調し、町の工房や小さな工場といった製造の現場がよく見えるようになった。そしてそれらが日常の一部になっていることに惹かれていた。町工場の多くは通りに面したシャッターを開放していて、切られてゆく木材、型に流し込まれる原料、そして高速で回るろくろなどを見ることができた。近年その数こそ減っているものの、このようなものづくりの場は、東京の東側に今も確かに息づいている。

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8月の朝、うだるような暑さの中私は隅田川を超え、東向島の静かな一角を目指していた。細長く伸びる道にはかつて町工場が並んでいたが、現在ではその数も減り、マンションやプレハブ住宅の間に点在するばかりだ。そこで私は、日本で唯一、盆栽用の如雨露(じょうろ)を専門に製造する根岸産業有限会社の三代目代表であり、職人の根岸洋一に会う予定だった。到着すると、取っ手の制作準備をしていた根岸は巨大なプレス機から離れ、私を工場の奥へと案内してくれた。重機や素材の箱が並ぶ工場内を歩くたびに、年季の入った床が軋む音がした。

盆栽作家らの助言をもとに1960年代に製作された、社を代表する銅製の如雨露の姿は機能美そのものだ。装飾は一切なく、全ての部位が水を優しい雨のように注ぐための役割を持ち、土が崩れることも、繊細な枝や苔を傷つけることもない。それは細心の注意を隅々にまで払って作り上げられた道具であり、盆栽という芸術に共鳴する丁寧さと精緻さを体現している。

工場の中心にある作業場で、根岸は重ねられた座布団に正座し、新しい缶に一つずつ部品をはんだ付けする作業に取りかかり始めた。10代前半の頃から続けてきたという動きは穏やかで、数十年をかけてその体に記憶され、まるで瞑想しているようでもあった。40代半ばに差し掛かり、彼は社で唯一の職人として、彼の祖父、そして父へと受け継がれた伝統と技術を引き継いでいる。

はんだ付けの作業が終わると、それぞれの如雨露は磨かれて出荷の準備に入るが、その表面にはロゴも印もない。「如雨露はまだ完成していないので、ロゴは付けられない」と言う根岸。如雨露の表面に現れるのは、長年使われることによって自然と刻まれてゆく経年変化の印(しるし)だけで良いと彼は考える。「より良いものになるはずなので、完成はないんじゃないかなと思います。」1980年代に作られ修理のために戻ってきた、錆びてボロボロになった如雨露を取り出しながら、彼はこう付け加えた。「私たちが作った如雨露が数十年にわたって使われ続け、世代を超えて受け継がれ、みなさん注文や修理に何年も待ってくれています。それだけ如雨露に価値を見出してくれているということなのでしょう。」

盆栽作家や一般の園芸愛好家からの熱心な支持がある一方、根岸は毎年4月に改良版を発表し続けている。工場の外で彼は、水やりの歴史を探ったり、修理を行ったり、顧客と話したりするなどして、常に新しいアイディアを探し求めている。日課のジョギング中にもデザインをどのように更新してゆくのか考えているそうだ。多くの場合、加えられた変更はわずかで、訓練されていない目には見えにくいものだが、更新点は日常的に如雨露を繰り返し使用する盆栽作家や園芸のプロによる確認を経なければ採用されない。

その仕事について聞いていると、基本に立ち戻るという古風とも言える姿勢こそが、この工場が長らく愛されてきたことの核であることに気づいた。修理を前提として顧客との繋がりを大切にし、そして高い品質の製品を作ることに最善を尽くしてこそ、ひとつのことを継続することができる。

会話が終わると、根岸は空になった私のコーヒー缶を小さな如雨露へと作りかえていった。わずかな手数ながら、先ほど見た作業と同じように静かな正確さで銅の注ぎ口と取っ手が付けられ、接合箇所が磨かれた。そうして彼は、どこにでもあるようなものを時間と共に育ってゆくであろう特別な一品へと変化させ、どんな些細な部分にも細心の注意を払う職人の技を見せてくれた。

このテキストは、ものづくり文化についてのニュースレター「The White Paper」の三号です。ニュースレターの登録はこちらから。

遊び道具としてのバスケット

銀座散歩の楽しみは、メゾン・エルメス抜きには考えられない。いつ訪ねても、たとえ遠回りになっても、私はレンゾ・ピアノ設計によるタワーの目の前を通り、そのウィンドウ・ディスプレイをチェックするようにしている。正面のウィンドウは定期的にアーティストやデザイナーによる新しいディスプレイを見せてくれるが、特に印象的だったのが、デザイナー・藤城成貴による遊びをモチーフにしたものだった。

森への旅路

日本のものづくり文化は豊かな伝統、細部へのこだわり、そして技巧の絶え間ない探究によって成り立っています。職人たちを現場で長く見ているうちに私は、彼らの仕事の根底にある哲学に惹かれるようになりました。彼らにとってものづくりは職業というだけではなく、生き方のひとつなのです。

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